「ギターが2本去りベースとドラムだけが残った」 あるWebサイトのニュースコラムの最後の
言葉です。日本中がロイヤルベイビー誕生の知らせに沸いていた2001年11月30日、元ビートルズの
ジョージ・ハリスン氏が亡くなりました。享年58歳という若さでした。残念ながら日本では、皇室
のニュース一色で小さな扱いでしたが、本国の英国ではブレア首相やエリザベス女王が哀悼の
メッセージを述べるなど大きな悲しみに包まれたようです。
ビートルズ時代は、ジョンレノン・ポールマッカートニーという卓越した才能の持ち主に囲まれ
あまり目立たない存在ではありましたが、中期以降には曲数こそ少ないものの数多くの名曲を
残しています。タックスマン、ホワイルマイギター・・・、サムシング、ヒアカムズザサン等々、
Lennon&McCartneyという超強力ソングライターコンビの作品に引けを取らない名曲です。
ファンの方ならご存知でしょうが、スタンダードナンバーのカヴァー曲やジョージ・リンゴの
曲以外は全て「Lennon&McCartney」とクレジットされていますが、初期の頃を除いて、協作の
曲はほとんどありません。最初の約束で二人が作った曲は全てLennon&McCartneyとなっている
だけで、ボーカルを取っている方がその曲を作ったと考えてほぼ間違いありません。
ビートルズ解散後は、3枚組みアルバムを出したり、今の時代よく行われているチャリティー
コンサートのはしりとも言える慈善コンサートを行うなど精力的に活動を行った時期もありましたが
その後はほとんど公の場に出る事はありませんでしたが、91年には、GEORGE HARRISON with ERIC CLAPTON
AND HIS BAND として日本でライブを行った事もありました。17年ぶりのライブをこの日本で、
しかもエリッククラプトンを引き連れて(と言うよりクラプトンが後押ししたらしいが)行われた
のは一体何故なのか私は良く知りませんが、今そのライブアルバム(ビートルズナンバーが中心)
を聞いてみると、やはり良い曲が揃っています。(相変わらずあまり歌は上手くないのですが)
「僕は昔からバンドの中心人物として前面に立つのを好むタイプじゃなかった」とインタビューで
語ったそうです。「ジョージは年の近い兄のような存在」とクラプトンはその同じインタビューで
語っています。「ジョージは本当の弟のような存在だった」ジョージの死後のポールマッカートニー
の言葉です。控えめだけれど誠実な人柄がよく現れているのではないでしょうか。
58年という短い人生ではあったけれども、私たち一般人の何倍いや何十倍も中身の濃い人生
だったのではないでしょうか。
さて、最後に私の希望です。是非、ポールとクラプトンが中心になってトリビュートライブを
開催して欲しい!! ポールのベースでタックスマンやサムシングを演奏して欲しい!(ビートルズ
時代のジョージの曲ではなぜかポールのベースプレイとバックコーラスが凄いんです。知らない人
は、一度その辺を注意して聞いてみて欲しい)、ホワイルマイギター・・・では当然クラプトンの
リードギターが聞きたい!(この曲のセッションにクラプトンが参加して、リードギターを弾いている。
ビートルズのメンバー以外がビートルズの曲の録音に参加したのは彼が始めて。プロデューサーの
ジョージマーチンは除きます) こんな夢のようなライブを是非実現して欲しい。場所はやはり
ロイヤルアルバートホールかな。夢が夢でなく現実になりますように。